安心感のない世界で育った“愛着の記憶” ~愛されたいのに、泣いてばかりいた幼稚園の私~
「人の顔色ばかりうかがってしまう」
「好きな人ができると、不安で苦しくなる」
「“私なんて…”がいつのまにか口癖になっていた」
そんな思いに心当たりのある方へ。
もしかしたらそれは、幼いころに感じた“愛されている安心感”の不足から来ているかもしれません。
私が幼稚園に通っていた頃、毎日のように泣いていました。
先生がどんなに優しくしてくれても、心の奥ではいつも不安でいっぱいでした。
「幼稚園に行っている間に、両親がいなくなってしまうかもしれない」——
そんな恐れを、幼い私はずっと抱えていたのです。
当時のわが家は、両親の喧嘩が絶えませんでした。
特に母は感情の起伏が激しく、家庭の中にはいつも不穏な空気が漂っていました。
子どもながらに、「今日こそ、どちらかが家を出ていってしまうかもしれない」と感じる日々。
“家族がバラバラになる不安”が、私にとっての当たり前になっていました。
小学生になる頃には、「私は本当は拾われた子どもなんじゃないか」とまで思っていました。
母から「あなたはお父さんに似て可愛くない」と言われたことがあり、顔や肌の色に対する否定的な言葉が、ずっと心に残っていたのです。
いつしか私は、自分の顔も、肌も、そして存在そのものを否定するようになりました。
鏡を見るたびに「この顔じゃダメだ」と思い、コスメジプシーを続けていた時期もあります。
私には、心から安心できる“安全基地”がなかったんです。
誰かのそばにいても、どこか落ち着かない。
愛されているはずなのに、なぜか不安になる。
その感覚の正体がようやくわかって、少しずつ癒しが始まりました。
今、私は「フェイスタッチセラピー」という“肌から心へ”働きかけるケアを通じて、同じように「安心感が持てないまま大人になってしまった女性たち」の心と向き合っています。
不安を抱えたまま頑張ってきた方にこそ、“触れることで届くもの”があると思うからです。
この物語は、私自身の回復の道のりでもあり、「誰かを癒す手」に変わっていったプロセスの記録でもあります。
安心を求めて生きてきたあなたにとって、少しでも心がふっと緩むきっかけになれば嬉しいです。
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